同じ名前の別の物(2017.12.26)


沖縄ぜんざい食べ納め

みかけは同じ沖縄ぜんざいでしたが、

いつも私がいただいてる、ヒーローのぜんざいや武村天ぷらのぜんざいとは違いました。

金時豆がめったに口に入ってこないのです。

あの店のぜんざいもこの店のぜんざいも、ヒーローのぜんざいも同じ名前ですが、中身が違うのです。たくさんの金時豆、しかも程よい煮込み加減。

少し前の自分だったら、この違いに気づかなかったでしょう。ガッカリしたけど、ガッカリできるくらい、違いのわかる私になったのだと思い嬉しくなりました。

世の中には同じ名前の違うものがたくさんあるけど、違いのわかる自分で居れるよう、日々精進したいです。

食べ物に限らず、人の動きの支援も、支援行為自体、誰がやるかでまったく違う質になります。

食事介助も、入浴介助も、移動の介助も、体位の介助も…

見ている人はわからないけど、援助を受けた人には違いがわかります。

キネステティク・クラシック・ネオでは、違いのわかる学習を提供します。

キネステティク・クラシック・ネオについて、知りたい人は、ひとまず、医学書院の看護教育2008年1月号をお読みください。

このタイトル、よく使っている気がしますが…

距離


距離が近づいたかと思ったら、

相手はもっと先に進んでいる。

だから、また、近づきたくて

歩みを進める。

距離は近づいてはいないが

たしかなことは、

自分が進歩したこと。

だから、また、学習を進める。

ただ、自分が楽しんで

歩みを進める。

聴き手の態度を学ぶ


☆演者や講演者だけでは、よい学習の空間はつくれない。聴き手の能力が大切。自分を磨くとこが大切☆

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60歳以上の団員で構成されてる合唱団、

エテルナ60

足爪進化チームの森田さんにご紹介いただいてセミナー昼休憩を長めに設定し、演奏会に出かけた私たち3人。

開演ギリギリに到着したら、3人一緒に座れる座席が最前列中央のみ。ちょっと肩身の狭い思いで着席しましたが、

とても素晴らしいシートでした。

60歳から85歳くらいの団員さんたちの歌声は、素晴らしく、歌詞にこめられた気持ちも違うと感じました。

童謡、クラシック、歌謡曲と、音楽に疎い私にも親しみの持てる選曲で、一緒にリズムを取ったり、静かに聞き入ったりしました。

マイウェイは歌詞に説得力まで、感じて、涙が溢れて来たりでした。

感動して帰ったのですが、後日、足爪の学習日に森田さんから、「最前列中央の3人が、表情豊かに聴いてくれていて、とても歌いやすい。だから、そこをめがけて歌った。いい声が出た」と合唱団の皆さんが言われてたという話を聞きました。

そう、それは私たち3人。

森田さんは、自分の誘った私たちが、聞き上手でびっくりしたけど、うれしかったと言ってくださいました。

私たちもいい聴き手と言われてうれしかったです。そして、セミナーでも同じだと気づきました。

いい学習をしたかったら、いい聴き手(引き出し手)であることが大事だなと。

そして、茶と禅の講座でいつも出てくる

「一座建立」という言葉にもつながります。

演者や講演者だけでは、よい学習の空間はつくれない。聴き手の能力が大事。自分を磨いていこうと改めて感じました。

誘ってくださった、森田さんにも

いい聴き手仲間の二人にも感謝です。

未来のために大事な一歩 「自分の足を知る 」


先日、自分の足の皮膚と爪の未来を考えるセルフケアワークショップを開催しました。

観察して、気づいて、行動する形式でした。

足はいつも、自分の人生の動きを支えてくれているのですが、

自分の目から遠くにあって、ついつい、観察やケアを怠りがちな部分です。

何か気にかかる問題があるときだけ、悪く言うことはあっても、問題が小さい時や、問題がない時には、話題にも上がってきません。

今回は、2名の方が、このテーマに賛同して参加してくださりました。

「足は人に見せられない!」って言われるスタートから、最後は「私の大切なお足様」と、表現が変わられて、とてもうれしくなりました。

あとは、今回知ったら日々の観察とセルフケア、そして、セルフケアに限界がある時には、ケアができる人の手を借りる(セルフケアの進化形)で自分の足の皮膚と爪を養って行きましょう。

自分のために、放下着(著)


ほうげじゃく

すべての執着を捨てされ、つまり放下せよ。

自分が分かっていると思うことさえ、棄て去る。

知っていると思い込んでいると、自分の知らないことに気づくチャンスを失ってしまう。

何も足さないし、引かない、と書かれた『さときびズース』なるものは、どうせサトウキビのジュースなんでしょ…と思い込んだままで、飲んだ私の期待を見事に裏切った。

通り過ぎなくて、よかった。

新しいここにしかない

さときびズースと出会えた!

知っていると思っている自分の知識も、別の角度からの理解ができるかもしれない。

放下着

12月は思い込みを棄て去る月間にしてみようか…。

おかしい!に気づかせてくれる感覚


動きを言語化しながら、体験しているといろんな

あれ?あれ?おかしいぞ?

に気づくことができます。
自分のキネステティク(動きの)感覚が教えてくれます。
自分以外の

キネステティク感覚を信じてはならぬ!ってどっかの神様か、どなたかが

言ってなかったでしょうか?

ということを、先日Facebookにかいたのですが、それをシェアしたいと言ってくれた友のためにここにもう一度。

筋肉は

感覚としての機能が大事。だから、カラダを痛めることなく、日常生活ができたり、趣味やスポーツが出来たり、人の世話もできる
https://m.facebook.com/nipponkinestheticassociation/

その知識のお値段は高いのか?価値に気づくのも能力


それは高いのか?
私は、セルフケアが向上する知識や、セミナーを取り扱っている学習提供者で商人です。知識は知的財産としての価値が保証されます。

人とのやりとり中で、

「知りたい!でも、高い!」って言葉を、受け取ったりすることがあります。

私も過去、買い物をする時や、何か学習するとき、『高っ!』という言葉を使っていたことがありました。
でも、気づきました。

でもこの高いという言葉は、あまり使われ方を吟味されずに、間違った使い方をされてると。
本来、「高い」という言葉は、その商品や知識に、その金銭と比べて対等な価値がない時に、使う言葉です。

まだ、そのなにかの価値を知らない状態では、高いとも安いとも、ちょうどいいとも判断することかできないんだと、気づいてしまったのです。
そして、その価値に見合うなにかを欲しいと思ったときに、自分にその対価を支払うことが可能かどうか。可能でない時はただ単に手持ちがないだけなので、その時どうにか用立てるか、次の機会を待つか。(次の機会がなさそうであれば、もう二度と手に入らなくなるというリスクも考えるのを忘れてはならない)。
高い!は違う。
それは、私の欲しいものか、その価格相応の価値があるかどうで考えることができるようになりました。
間違った言葉の使い方に、惑わされて、せっかくの知識や商品を手に入れるチャンスをのがさないようにしたいものですね。
そんなわけで、自分の欲しいものかどうかを試してもらうために、体験会を企画したり、体験的に参加してもらえる機会を作っています。
そして、参加したいけど、高いって言う人には、こんな話をするのですが、
自分のカラダを楽にする知識を得るのは、自分の人生にとってとても大切な事で価値あることだと気づいてもらいたいです。

その気づきも能力です。
そして、その知識を提供する人々が、日々、学習を積み重ねてる人達だということも。

(写真は石巻で会ったサイボーグ001と005)

同じに見えて違うもの(中身が違うもの)


同じだと思い込んでると、せっかくの大切なことに気づけません。

同じ名前がついていても、中国地方で売ってるワカメと東北地方で売ってるワカメでは、味も舌触りも違う。

今回お土産にもらったカプセル。同じ容器にに入ってるけど中身が違う。ひとりひとり、受け取ったものは箸置きというカテゴリーでは一緒だけど、中身はみんな、どんなだったんだろう?自分の得たものを披露することは、ちょっと、セミナー中のシェアに似ているような気がします。私はこんな風に受け取りましたと…。

キネステティクも同じ言葉をつかったセミナーでも中身の違うものがいくつかあります。

同じと思って受けない人、同じと思い込んで受けて違いに気づく人、同じと思い込み過ぎて、知ってると思い過ぎて、違いに気づけない人もいるかもしれません。

でも、7月1日以降のキネステティク・クラシックは創始期を卒業して、新しい時代に突入しました。現代の色んな科学と整合性があるということと、言葉の意味を大切にしているところが大きな違いです。

学びやすくなりました。言語化して共有しやすくなりました。

できれば、多くの人に

同じに見えて違うものに気づいて欲しい。受けに来てくださった方は、新しいものだと認識して受けてくださいね。考えてもいなかったものがみつかるかもしれません。



ちなみにワカメは陽子さんから、カプセルは寿里さんからお土産にいただいたものです。ありがとうございました。

#同じに見えて違うもの

#キネステティク・クラシック

まるで本人が動いているかのように…魂のケアまでする!


沖縄では、交通事故にあってしまったり、尻もちもついてびっくりするようなことがあると、魂(まぶい)が落っこちてしまうと信じられているそうです。

魂が落っこちてしまうと、ヌケガラみたいになったり、認知症のようになったりもするそうです。

そのため、キネステティク・クラシックの受講生さんたちは、よく、学習中に尻もちがテーマになったときは、まぶい汲みをします。

まるで、本人が動くかのように手伝って、お尻をあるべき場所に移動するのを手伝った後は

『まぶいぐみ』 

まぶやーまぶやーまぶやー!

最後まで丁寧に!

脱皮して成長するキネステティク・クラシック


この度、キネステティク・クラシックは、他の学問領域との矛盾をなくし整合させるために用語の見直しをしました。

従来のプログラムから変更が生じました。

でも、矛盾点がなくなったおかげで、さらにわかりやすく言語化できるようになりました。

キネステティク・クラシックと他のキネステティクとの違いは、より日本の文化に合わせた、集中しやすい学習になっているところです。

特に、イチバン大切な知識の基盤となるパーソナルレベルでは、しっかり自分自身との向き合い方、対話のしかたに気づいてもらっています。

そして、今回、さらに用語も定義もわかりやすく改訂が施されましたので、どれだけ進化するか。

クラシックという言葉を使っているのですが、古いとかいう意味ではありません。いろんな意味で原点に戻るということです。

さらに深まるキネステティク・クラシックを知りたい方のご参加をお待ちしてます。

しばらく、変更に伴う、新ワークブック作成がたいへん(だけど、楽しみ)です。まずは、体験会のワークブックからスタートです。

カニのように、大胆な脱皮のため、他のキネステティクの経験者の方々には、もう別物と割り切って、いちから学んでいただくことが必要です。

でも、そこに時間をかけた人は自分自身の人生に変化が起こるでしょう!

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キネステティクは「動きの言語化のツール」です。

キネステティク・クラシックのセミナーでは、体験を通して動きの考え方(概念)を学んでいきます。

パーソナルレベル

サポーターレベル

ファシリテーターレベルの三段階で学びます。